うさみみふぁくとりー
くらりんの看護日誌
-くらりんの気まぐれブログ-
すべては冗談で成り立っています^p^
すべては冗談で成り立っています^p^
2011
皆様お気づきであろうか!ブログのサブタイトルが変わっていることに!
皆様お気づきであろうか!救命日誌ではなく看護日誌に変わっていることに!
はい、くらりんです
ってことでそれっぽいことでも書いてみようかなと思います
みなさん医療従事者と聞いて何を思い浮かべるだろうか?
医師、 看護師、その他たくさんの人々を思い浮かべると思うが、今日は病院外で働く救急救命士をはじめとする救急隊と言う視線から少し話したいと思う。
私は昔、日本赤十字社の救急法を学んだ。
たった1枚の三角巾で人へいろんな手当が出来る事にすばらしさを感じたり、また心肺機能停止から除細動までの時間が1分経過する毎に7~10%ずつ生存退院率が低下するという事実などを知り、「救命の連鎖(早期通報→早期心肺蘇生→早期除細動→早期病院搬送)」の大切さを学び、興味を持ったのが、今思えば医療従事者になりたいと思ったきっかけだと思う。
私は昨年までの4年間救急救命を学んでおり、私はその中で、救急通報から現場へ駆けつけ病院へ傷病者を搬送するという消防署実習と、病院の救命センターで救急隊から患者を受け入れるという病院実習を体験した。
とある日の病院実習での出来事
40代女性 家族と食事中に肉片を喉に詰まらせ119番通報。救急隊より救命センターへ受け入れ要請の入電。
病院到着時、傷病者は気道内異物除去出来ず、心肺停止であった。傷病者がストレッチャーからおろされた時に私は「心マやります」と声を上げ、心臓圧迫マッサージの実施者に名乗り出た。
心臓圧迫マッサージは病院前救護の基本中の基本であり、強く、早く、絶え間なく続ける事により脳や全身に酸素を運ぶ役割を果たす。
心臓圧迫マッサージの質の維持のために通常は10分程度で他の人と交代する。
心臓圧迫マッサージを続けてから10分後、私は他の人に心マを代わってもらい、周りを見渡すと、医師も看護師も皆忙しそうに手当をしていた。
自分が何をすればいいのかはわかっていた。
しかし無資格の私にはその行為は許されなかった。
ただ眺め、変わりゆく様態を記録するだけしかできなかった。
その後その傷病者は9cmほどの長さの肉片が取り出され臨床的脳死*と診断された。
救急隊からすれば、傷病者へ気道内異物の除去の試みと、心肺蘇生を行い迅速に搬送するという業務を立派に遂行したとおもう。
救急救命士の仕事は傷病者を病院へ搬送するまでの間に必要な手当をすることである。
具体的には毛布で保温する、バイタルサインを記録するなど。また、必要に応じて心臓圧迫マッサージ、人工呼吸、気管挿管や点滴を用いて輸液をしたり、アドレナリン投与をしたり、AEDを実施するなど。
現在の日本ではその程度しかできず、救急救命士の業務拡大に向け議論がされているところである。
ここまで私は「傷病者」と言う言葉を使ってきた。傷病者とはいわゆる患者のことである。救急隊は患者という言葉を使わない。彼らは皆こう言う「僕たちは病状を診断出来ないし、治療も出来ないから患者とは呼べない」と。
同じコ・メディカルであるのに悲しく感じた。
振り返ってみれば、私は誰よりも早く傷病者に駆けつけ、助けたいという思いで救急救命を勉強し始めたのだが、この病院実習を通して、その思いはどこかでヒーローにでもなれるのかと勘違いしているような半ば浅はかな考えであったことと、改めて救急救命士の実情や無力さに疑問を感じた。
あのときあんな実習がなければ公務員という安定した職に就き、人生遠回りしなかっただろうと思いながらも看護師になろうとしている私は、どこかでまた勘違いしているのかも知れない。
------
*検査結果などから、明らかに脳死であろうと判断された状態を臨床的脳死と呼ぶ。
臓器移植などの目的で脳死を法的に示す必要のある場合は手順に則った脳死判定が行われる。このような目的がないときに脳死判定をすることはできない。なぜなら、判定基準は呼吸器を外して自発呼吸を確認するなど患者を死亡させかねない項目を含んでいるからである。
皆様お気づきであろうか!救命日誌ではなく看護日誌に変わっていることに!
はい、くらりんです
ってことでそれっぽいことでも書いてみようかなと思います
みなさん医療従事者と聞いて何を思い浮かべるだろうか?
医師、 看護師、その他たくさんの人々を思い浮かべると思うが、今日は病院外で働く救急救命士をはじめとする救急隊と言う視線から少し話したいと思う。
私は昔、日本赤十字社の救急法を学んだ。
たった1枚の三角巾で人へいろんな手当が出来る事にすばらしさを感じたり、また心肺機能停止から除細動までの時間が1分経過する毎に7~10%ずつ生存退院率が低下するという事実などを知り、「救命の連鎖(早期通報→早期心肺蘇生→早期除細動→早期病院搬送)」の大切さを学び、興味を持ったのが、今思えば医療従事者になりたいと思ったきっかけだと思う。
私は昨年までの4年間救急救命を学んでおり、私はその中で、救急通報から現場へ駆けつけ病院へ傷病者を搬送するという消防署実習と、病院の救命センターで救急隊から患者を受け入れるという病院実習を体験した。
とある日の病院実習での出来事
40代女性 家族と食事中に肉片を喉に詰まらせ119番通報。救急隊より救命センターへ受け入れ要請の入電。
病院到着時、傷病者は気道内異物除去出来ず、心肺停止であった。傷病者がストレッチャーからおろされた時に私は「心マやります」と声を上げ、心臓圧迫マッサージの実施者に名乗り出た。
心臓圧迫マッサージは病院前救護の基本中の基本であり、強く、早く、絶え間なく続ける事により脳や全身に酸素を運ぶ役割を果たす。
心臓圧迫マッサージの質の維持のために通常は10分程度で他の人と交代する。
心臓圧迫マッサージを続けてから10分後、私は他の人に心マを代わってもらい、周りを見渡すと、医師も看護師も皆忙しそうに手当をしていた。
自分が何をすればいいのかはわかっていた。
しかし無資格の私にはその行為は許されなかった。
ただ眺め、変わりゆく様態を記録するだけしかできなかった。
その後その傷病者は9cmほどの長さの肉片が取り出され臨床的脳死*と診断された。
救急隊からすれば、傷病者へ気道内異物の除去の試みと、心肺蘇生を行い迅速に搬送するという業務を立派に遂行したとおもう。
救急救命士の仕事は傷病者を病院へ搬送するまでの間に必要な手当をすることである。
具体的には毛布で保温する、バイタルサインを記録するなど。また、必要に応じて心臓圧迫マッサージ、人工呼吸、気管挿管や点滴を用いて輸液をしたり、アドレナリン投与をしたり、AEDを実施するなど。
現在の日本ではその程度しかできず、救急救命士の業務拡大に向け議論がされているところである。
ここまで私は「傷病者」と言う言葉を使ってきた。傷病者とはいわゆる患者のことである。救急隊は患者という言葉を使わない。彼らは皆こう言う「僕たちは病状を診断出来ないし、治療も出来ないから患者とは呼べない」と。
同じコ・メディカルであるのに悲しく感じた。
振り返ってみれば、私は誰よりも早く傷病者に駆けつけ、助けたいという思いで救急救命を勉強し始めたのだが、この病院実習を通して、その思いはどこかでヒーローにでもなれるのかと勘違いしているような半ば浅はかな考えであったことと、改めて救急救命士の実情や無力さに疑問を感じた。
あのときあんな実習がなければ公務員という安定した職に就き、人生遠回りしなかっただろうと思いながらも看護師になろうとしている私は、どこかでまた勘違いしているのかも知れない。
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*検査結果などから、明らかに脳死であろうと判断された状態を臨床的脳死と呼ぶ。
臓器移植などの目的で脳死を法的に示す必要のある場合は手順に則った脳死判定が行われる。このような目的がないときに脳死判定をすることはできない。なぜなら、判定基準は呼吸器を外して自発呼吸を確認するなど患者を死亡させかねない項目を含んでいるからである。
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